病気を治すには三つの力が必要だと言われます。先ず身体が本来備えている治癒能力、次に本人の治りたいという強い意志、そして医師を中心とする医学的な治療法この三つのどれが欠けても、病気は早く治らないのではないかと思います。
この中の医学的治療については、その必要性は言うまでもありませんが、あとの二つ、患者自身の治癒能力と、治そうという努力も、また重要で欠かせないものです。
最近、萩原優先生の『前世療法の奇跡』(ダイヤモンド社)という本を皆さんにお勧めしています。先生は、聖マリアンナ医科大学の外科医として、3000件以上の手術をされた方ですが、西洋医学に限界を感じ、催眠療法などの代替医療を学び、クリニックを開かれました。
「悩みやストレスは、顕在意識と潜在意識のズレによって生じるのです。(中略)私たちは、あまりにも顕在意識に頼りすぎているために、自分の潜在意識の声が聞こえなくなっています。本当の心の声を聴くためにも、潜在意識へとつながる必要がある」ということを患者さんとの体験を通して説明されています。
また、自身の医師としての経験も踏まえて「潜在意識の奥深くには、魂が存在します。魂は、なかなか自分では見えにくく、感じにくいものなのですが、存在するのは間違いありません」と魂の存在にまで話が及びます。
私はよく、「自分はお医者さんではないから、体を治してあげることはできませんが、魂を治してあげることは出来ます。魂を治す方法を教えてあげることは出来ますよ」とお話しします。
それは、病気が長引き、あるいは重くなっていくと、だんだんと焦りが生じ、迷い、疑い、希望を失って、しまいにはヤケになって、治そうという努力をしなくなる人もおられるからです。昔から「病気は病い半分、気半分」と言いますが、肉体的な治療も大事ですが、精神的な部分も欠かすことは出来ません。
人間の知恵だけでは判断できないとき、人間の力ではそれ以上もうどうにも出来ないとき、人間は自分以上の存在として神や仏を求めます。
それはごく自然な心の働きです。信じることによって苦痛が和らぎ、心の安定が得られれば、治療の効果も上がって、病気も快方に向かうでしょう。
たとえ不治の病にかかり、あるいは死を目前にした病人であったとしても、命のある限り、その生が充実したものであれば幸せだと言えないでしょうか。そこに信仰の価値があると思うのです。
大聖人様は、「この病(やまい)は仏のおんはたらきか。(中略) 御経には病ある人仏になるべきよしと書かれて候。道心(※信仰心)は病より起こり候か」(妙心尼御前御返事)と、御本仏様の働きで、病気にさせて戴いたと考えなさい。信仰心(道心)は、病気になってこそ芽生えてくると示されました。
お経、お題目をお唱えするということは、単に仏像を拝むことを意味するものではありません。ご本仏様は自分の魂の奥に(第九識)にあるのです。自分の中の仏性を信じ、自分の中の仏性を拝むのです。
「どうか守ってもらえますように」「どうかうまくいきますように」と、あなたが無意識にでも心の中で祈るとき、あなたは、自分の仏性をすでに信じているのです。そのように自らの仏性を信ずるなら、必ずそこに救いはあります。心から信じることが肝要です。
最後に「医師は傲慢であってはならない。医学ができることは患者自身の本来持っている、病気に対する抵抗力や治癒能力を引き出し、育て、力を強める手助けをすることである。そのためには患者自身の協力が絶対に必要である。患者を無視した治療は成功しない」と述べたお医者さんの話を聞いたことがありますが、お坊さんもまた然り。私もぶっ飛ぶだけでなく、人々に寄り添える僧侶にならなきゃと感じています。(H29.お盆号より抜粋)