死は存在しない!量子科学から学ぶ

『寶塔山』令和5年12月号から

早いもので令和五年も残すところわずかとなって参りました。
昨年までのコロナ騒動が嘘のように治まり、最近では、コロナウイルスが話題にのぼることもなくなりました。
檀信徒の皆様には、ご健勝にて信行にご精進のことと、大慶に存じあげます。

当山は、ご存じのように、若い方のお参りが多いお寺です。
若い人たちは、私の話を真剣に聞いてくれますし、祈りもちゃんとやってくれるので、楽しく若い方たちと接しています。

ただ、若い方の未来を考えた時に、決して明るい未来とばかりは言えなそうです。
まだ一度しか見ていませんが、ACジャパン、政府の広報ですが「今後AIが普及していくと、現在の仕事の40数パーセントは無くなっていく」という、若者への啓もうを始めたようです。

私も、「人の役に立つ、人助けになる」をコンセプトに、進学や就職を考えた方が良いよと教えています。

そして若い人達に、この本だけは読んでおいた方がいいよと、薦めている本があります。
それは、河合雅司著の「未来の年表」(講談社現代新書)ですが、この本に書かれていることを頭に入れて、人生設計を考えるのと、読まなかった人との間には、将来大きな違いが表れると考えるからです。

更に、もう一冊この本は面白いよと薦めてるのが、田坂広志著の「死は存在しない」(光文社新書)という本です。
サブタイトルは、『最先端量子科学が示す新たな仮説』と付けられています。

田坂先生は、東大卒の原子力工学博士という生粋の科学者ですが、これまでの科学は、死後の世界の存在を否定してきたが、最先端量子科学の示す、「ゼロ・ポイントフィールド仮説」は、神や仏、霊界、神秘世界と一致するものと示されます。

仮説なの?じゃあ証明されている訳じゃないよね、と思われる方もおられるかもしれませんが、私が陰陽の法則を話すときに、「霊界・神秘世界は科学では証明できないもの。むしろ証明してはいけない神聖なもの」であるとお話しすることと、符合すると思います。

「ゼロ・ポイントフィールド仮説」とは、宇宙空間は、量子真空で満ちており、その中に「ゼロ・ポイントフィールド仮説」が存在し、宇宙の全ての情報が、ホログラムとして記録されているという仮説なのですが、そのゼロ・ポイントフィールドは、過去、現在、そして未来までの全ての情報が記録される場所とされます。

いま私がパソコンに向かっていることも、若者がデートしていることも、どこかの夫婦が喧嘩していることも、全ての情報が蓄えられているのです。

実は、同じような説は過去から存在していました。
それは、古代インド哲学の「アーカーシャ」と呼ばれる思想で、仏教心理学の『唯識ゆいしき』でいう、九つ目の意識「第九識」であり、のちに「アカシックレコード」と呼ばれ、宇宙の初めからの、すべての事柄、想念、感情が、ホログラムで記録されるという宇宙記憶の概念なのですが、そこにアクセス出来るのは、霊能者や修行者のような、強い霊力を持つ人に限られていると思われてきました。

しかし、田坂先生は誰もが経験する予感、予知、以心伝心、占い的中、シンクロニシティなどは、ゼロ・ポイントフィールドに繋がった時にそのような体験をすると書かれています。

またそのエネルギーは莫大で、1㎡四方のエネルギーで、地球の海を干上がらせるくらいのエネルギーを持つとされます。

さて、この本は、『法華経』の学びだから、読んでみると良いよと、皆さんに薦めているのですが、ゼロ・ポイントフィールドの説は、中国の天台大師智顗が著わした、『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(ほっけげんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)の天台三大部に説かれる、法華教学と全くの相違がありません。

天台三大部が無かったら、日本仏教は存在しないと言いきっていいくらいの教学です。

それは、方便品第二から『一念三千(いちねんさんぜん)』、『十界互具(じゅっかいごぐ)』、如来寿量品十六の『久遠実成(くおんじつじょう)』という理論が顕される、とても難解な教学なのですが、この本は、それらの教学が判りやすい言葉で書かれている本と言っても過言ではありません。

「一念三千」とは、分かりやすく言うと、一瞬という時間と、永遠という時間はイコールである。ミクロコスモス(最小のもの)と、マクロコスモス(最大のもの)はイコールであるという理論で、「十界互具」とは、仏教では、地獄界から仏界までの十の世界を説きますが、十界すべてが無いと、本当の成仏の世界は現れないという教えで、そのことをよくDNAを使って皆様にお話ししますが、無始という時から始まった命は、全て自分のDNAの中に折りたたまれています。

当然その命の数は膨大ですし、恐竜が絶滅した時には、小動物が命を繋いでくれたのですから、ゴキブリも昆虫も、サルも私の中に存在しているということになります。

ペット供養の時、「祇園精舎の金鳥は 子を助けんとて火に入り 鹿野苑の鹿は 胎内の子のために 我が身を捧ぐ 『此れ畜生界所具の仏界也』 仏界に畜生界あり」と回向しますが、仏の中にも、地獄界も餓鬼界も畜生界も、十界の全てが収まっているのです。 

勿論、仏は仏の心が多くを占めており、地獄の心などは、ほんの少しです。
人間は、人の心が多くを占めますが、心の中には、地獄も餓鬼も存在しています。

ペットは畜生だから供養しなくても良いというお寺もあるようですが、私に言わせれば『一念三千』『十界互具』を理解していないだけ、ということになります。

次に『久遠実成』は、寿量品で、お釈迦様も涅槃が近まったことを悟られ、「間もなく涅槃に入るが、それは方便であって、仏は無始というはるかな昔から、無終という永遠(久遠)の時間の中に法を説いているのだ」と説かれお前たちの命も、無始久遠なのだと明かされました。

ですから本のタイトルである、死は存在しないは全くその通りということになります。

しかし、勿論肉体がある以上、死を迎えることは当然のことです。しかし、それは小さな死とでも呼ぶようなことで、魂は永遠に生き続け、輪廻を繰り返すのです。

この本は、人は死んだら何もなくなると説いている宗教は、でたらめを説いているということを科学が証明してくれているということになりますね。

供養に関しても、田坂先生は大切なことと示されます。

中陰については、「故人の自我意識が、変容をしていく中で、その寂しさや不安に寄り添うため」。また、自然死ではない、事故死や災害など、「生き方、死に際の在り方によっては、ゼロ・ポイントフィールドに移っても自我意識が苦しみ続けることは大いにあるだろう。だから残された人は、供養の儀式を行い、苦しみから解き放たれることを願うのである」

また、「心のこもらない儀式を、どれだけ盛大に行っても個人の意識は救われず、逆にどれほどささやかな儀式であっても、遺族の心がこもっているならば、個人の意識は救われるだろう」は、全く私と同意見です。

先祖が守ってくれることも肯定されます。
よく、先祖供養しない人の気持ちが分からない。供養すれば守ってもらえるのにと言っていますが、ゼロ・ポイントフィールドに繋がる、一番の方法は祈りなのです。

田坂先生は、「運気を磨く」という本も書いていらっしゃるのですが、それを読まなくても、感謝の心を持ち目に見えないもの(ご本佛・御守護神・先祖など)を大切にしていれば、強い守りが体験できます。

そして、最後に問いかけられる、「本書を読まれた科学者の方々、宗教家の方々には、本書が目指した『二十一世紀における科学と宗教の融合』という、人類史的な課題に、挑戦をして頂きたい」は、可能なら実現してほしい未来です。

陰陽の法則を話す時「神や仏と呼ばれるものは一つしかない」と言っています。
それは、宇宙の生死を司る何者かが、神とか仏という存在だと感じるからです。

この本は、キリスト教やイスラム教等の、一神教の指導者には是非読んでもらいたいと願います。元は、ユダヤ教の神、「ヤーヴァ」という同じ神様のはずなのですが、自分の信じる神様以外は異教徒の神という理論で、戦争が引き起こされます。

新しい年は、戦争が治まり、戦争のない平和な世界になることを切に願います。        光法 拝