老いと病、お釈迦様から学ぶ

『寶塔山』平成26年5月号から

若きお釈迦さまも苦しみから逃れたかった

さて、4月8日はお釈迦様の誕生日《花まつり》でした。今年も綺麗に花御堂を飾り、お釈迦様の出生をお祝いしましたが、その日のお説教は、ご誕生から青年期、出家までの、お釈迦様の若い頃のお話をし、26日のお施餓鬼の日には、お釈迦様の老い、晩年期のお話しをさせて頂きました。

お誕生の逸話については、このお便りに何度も書いていますので省略しますが、お釈迦様のご幼名はガウタマ・シッダールタというお名前です。

父である浄飯王(じょうぼんのう)は、世継ぎとなる男の子が生まれたことを心から喜び、生まれたばかりの息子の未来を占ってもらうために、アシタ仙人を城に招かれました。
すると、仙人は赤ん坊であるシッダールタを前に涙を流します。
いぶかしく思った王が訪ねると、「この子は大きくなって王となれば、転輪聖王(てんりんじょうおう)という、世界を統一する大王になられましょうし、もし、出家し求道者となれば悟りを開き、仏陀となられます。自分の年齢ではその姿を見ることが叶わず、それが悲しくて涙を流したのです」と答えられたと伝えられています。

その浄飯王は私たちと同じくらい親馬鹿だったとみえて、釈迦族の王族の跡継ぎになってもらうよう、間違ってもがシッダールタが出家しないようにと様々の憂いのもととなるようなものを近づけず、楽しいことのみを与え続けました。(親馬鹿のあまり浄飯王は勘違いをしていますね。楽しいことばかりというのも飽きるんですけどね・・)

成長されたシッダールタはある日、従者を連れて、東の門からお出かけになられました。そこで、老いてヨタヨタした一人の老人をご覧になります。
シッタルダは従者に問いかけます。「あの者はどのような人かと」それに対して従者は答えます。「老人ですと」「誰でもあのようになるものか」と問いかけには、「誰であっても、老いから逃れる術はありません」と答えました。その姿を見られたシッタルダはひどく落ち込まれたといいます。

そんな気分も晴れたころ、今度は南の門からお出かけになり病気の人に出くわされます。今回も従者にお尋ねになりました。「あの者はどのような人かと」そして、誰でも病気になるのかとも。勿論答えは、「誰しも病気からは逃れることは出来ません」

また気落ちされますが時間が経ち、西の門から出かけられたところ死者を弔う人達に出会われました。死も逃れることが出来ないことを知られた王子は更にひどく気落ちをされました。
そして、北の門から出かけた時に、修行者と出会われそれがお釈迦様の出家の動機になったと伝えられています。

四門出遊』というエピソードですが、そんなこと私でも解っているさと仰る方もいらっしゃるやも知れません。 勿論、いくら純粋培養されていたからといって、シッダールタ太子もそれくらいのことはご存じだったでしょう。 シッダールタ太子は、もっと根源的なものが知りたい、逃れることの出来ない苦しみから逃れる方法がないものかと思い悩まれたのだと思います。

そこで、それまでの快楽にまみれたお城での生活を捨て、出家したシッダールタ太子は苦行に励まれます。
しかし、苦行では悟れないと気付かれ快楽にも苦行にも偏らない、中道の道を見つけられ悟りを開かれたのです

さて、お悟りを開かれて最初の説法は、お城からついてきた5人の修行者に対して説かれました。
その時に説かれたのが、四諦(苦・集・滅・道)と、八生道という教えです。

それは苦しみから逃れるには、正しくその苦しみを認識し、正しい行いや考え方を実践していくという教えであり、そこから仏教がスタートしました。

仏教では、苦しみを【四苦八苦】として分類しています。四苦とは生・老・病・死であり、八苦には、愛する人と別れる苦しみ、会いたくない人と会わなければならない苦しみ、欲しいのに手に入らない苦しみ、五薀(ごうん)という、私たちの精神や肉体的な煩悩から来る苦しみが加わります

当然誰しもいつかは死が訪れることは常識として分っています。どんなに愛し合っても何時かは死別という別れがやって来ることも知っています。
ただ、本当に知っているのかというとそうとも言い切れないのかも知れません。

頭のどこかで、自分には関係がないのではないかという勝手な思いこみがあることにお釈迦様は気付かれました。そして、そう思わせているのは煩悩であり、ありえないと判っていても、それに執着する心が原因だとお釈迦様は説かれます。


住職の歳をとったなぁと思うこと

私ごとで恐縮ですが最近になっても、「のどの調子が悪そうですね」とか、「声が苦しそうですね」とご心配を頂くことがあります。 ある方は、テレビで味覚障害を知り「味覚は戻りましたか。」と電話をして下さいました。

声帯ポリープの手術をして、もう一年半近く経過し、本調子とはなっていないのかも知れませんが、本人は痛くも苦しくもありませんし、手術前のように御祈祷を一座したらガラガラ声になり、声が出なくなるようなこともないので、かなり良くなったと思っているのですが・・。

花まつりの前日に、Nさんがお越しになって「お上人の咽喉は大丈夫ね。随分ときつそうだけれど」と尋ねられましたので、「老化現象だから仕方ないでしょう」と答えたところ、「いくつで老化と言っているの」と笑われましたが、本人は真面目に老化現象と思っています。

覚えてはいませんが、生まれた時には「おぎゃー!おぎゃー!」と可愛らしい声で泣いていたことでしょう。

小学生の頃は声がいいと言われ、夏休みのコーラスには必ず選抜されていましたし、6年生の時には、叔母がかってにNBCラジオの子供のど自慢に申し込みをし、運よくオーディションを通過して名切の公園で歌を歌い文房具やおもちゃを貰ったこともありました。

大学生の頃にはスナックでカラオケを歌ったいると、見知らぬ女性から「一緒にデュエットしてもらえませんか?」と声を掛けられることもありました。
ですから、もともとは美声だったのです(笑)。

しかし、一回大荒行堂に入行すると、青ガエル程度のガラガラ声になり、二回目を出るとヒキガエルくらい、三回目を出てきたときにはウシガエルのような声になってしまいました。
さらに、追い打ちをかけるように、声の出し過ぎが原因でポリープができ、決定打としては、老化現象により、声帯が振るえなくなったのが原因なのです。


老いと病の関係

日蓮宗には、『求道同願会』という、「唱題行」を広く伝えることを目的にしている団体があります。
そこから毎月【求道】という雑誌が送られて来るのですが、全国大会の折の講演が載っていました。
なかなか、含蓄のあるお話でしたのでちょっと引用してみましょう。

同和園という老人ホームの診療所の所長をされている、中村仁一先生のお話です。

『それから老いについてです。年寄りになるとあちこち不具合が出てきます。まあ長年使ったんですからガタが来て当たり前、どこか具合が悪いのが正常です。年寄りのくせにどこもどうもないというのはよほど異常ですから、そういう人はもう精密検査を受けた方がいい。

今の人は「老い」を「病」にすりかえるんですよ。医者のところに行きますと、医者は老化だっていうことはわかっていますけれども、そうは絶対言いません。なんで言わないか。年寄りが飯の種なんです。

年寄りに「あんた年のせいだよ」なんて言ったらもう二度と来ませんからね。患者の方も「あの医者ヤブだ、全然治らない」と言って、大学病院に行ったりする。
どこへ行ったって、もとが老化ですから治るわけがないんです。「老い」を「病」にすり替えて、その結果どうなっているかというと、医療費が非常にかかっているわけです。私はもう医療制度はもたないと思いますね。(中略)

昔の年寄りは「年を取ったらこんなもんだ」で済んでいた。
ところが今は、これだけ医学が発達したんだから「何とかしたい」「何とかなるんじゃないか」と思っちゃう。非常に困ったことだと思いますね。

ではどうするか。もう受け入れる。歳をとっていくことは当たり前ですから、受け取り方だと思うんですよ。(中略)とにかく、明日は今日より悪くなって当たり前、これが歳を取るということです。
それと、どうやって上手にお付き合いしていくかということを考えるのが「老い」というものではないかと思います。』