日蓮宗大荒行堂とは

寶塔山
(平成28年11月号)

当山法嗣、光経も無事に入行したとの報告がありました。

家人は長男の時と同様に、食事ものどに通らないくらい心配しているようですが、私は全く気にもしてしません。

同年輩のお坊さんから「息子を初行にやる気分は」とか、「心配ではないか」という質問をされますが、全くと言ってよいほど心配はありません。
会話をしながら考えたのですが、高校から身延山に行ったので、15年間しか育てていないからかもと答えましたが、それ以上に、百日の行すら勤められないなら、坊さんにならければいいとさえ思っているからでしょうか。

私も3度行きましたし、特に初行が大変なのは百も承知。しかし、皆様の思いに励まされて入行した以上、どんな苦しさにも耐え、精進してこそ本物になれると思いますし、素晴らしい行が出来ることだけを願っています。

入行前の10月26日は、本人が出座出来る最後の行事でしたので、法号を授与しました。 行に入る前に師匠から法号を頂くのは、行中に死亡した場合の準備の意味があります。
ちなみに、百日間着る衣は、麻の清浄衣。僧侶がお棺に入る時に着ていく死出の衣です。いずれにしても、行中に命を落とすようなことがあってもの覚悟で入行するのです。

では、大荒行堂とはどんなところか、寒中壱百日、何をしているのか。『寺門興隆』(興山社)という月刊誌に特集記事がありましたので抜粋してみました。

『大荒行堂の起源は約七百年前、龍華日像上人が京都で行う日蓮宗開教にあたり、布教成就を願って、鎌倉の海に百日間入るという修行をしたことに始まる。

百日の荒行は朝3時から始まり、修行僧は夜11時まで3時間おき計7回、水を浴びる。水行肝文を唱えながらだ。
寒中になれば、足の指先はひび割れ、血がにじみ出る。また、水行の合間は読経三昧で声も嗄れる。入行から35日以後は水行に加えて寒空の下、木剣の練習に励む。
食事は一日二回、白粥と梅干一個だ。空腹と睡眠不足で荒行僧の頬はこけ、目はくぼみ異様な光を放つ。髪も髭も伸び放題となる。


だからこそ、2月10日の荒行成満の日には、修行僧の檀信徒や家族が、多数法華経寺に駆けつけ、出行を盛大に出迎えるのである。

このように過酷な大荒行。無論、誰でも挑めるわけではない。「修法規定」によれば、入行志願者は「年齢23歳以上、法臈5年以上、身体健全、品行方正」の男性教師でなければ許可されない。満60歳以上の者も不許可だ。志願者は事前に願書、健康診断書、身元引受書などを提出しなければならない。

加行は毎年、日蓮宗宗務総長によって任命される正伝師の指導のもとで行われる。修行僧は全て正伝師及び副伝師の命に従い、行堂清規を厳守しなければならず、従わない場合には退堂を命じられる。

ここで断っておきたいのは、この大荒行は加持祈祷を行える「修法師」の資格を取得するためのものだということだ。つまり、寺院住職になれる教師資格を得る目的で行われるわけではない。修行僧は荒行を満了したのち、伝師から加持祈祷の秘法を授かるのだ。』

とまあ、このような日々を現在送っているんですね。

日蓮大聖人様は、数々の法難に遭われながらも、法華経擁護の守護神の守りによって難を逃れられ、信を強くされました。しかし現代の、日蓮門下の私達にはお蔭様でそのような法難は起こりません。

そんな時代だから、尚のこと、自らに苦難を与えることも必要なことと感じます。人に優しくなれるためにも、信心を堅固にするためにも・・・。(H28お会式号)