『寶塔山』
平成27年5月号


霊魂は存在するのか?

正木晃さんという、新進気鋭の宗教学者の著書を数冊取り寄せました。慶応大学の教授であり、立正大学でも教鞭をとられています。テレビにもよく登場される方です。

明治以降の仏教学では、西洋の影響を受け、霊魂の存在を否定するようになりました。
それも、お釈迦様が霊魂を否定されたように説明されます。しかし、正木先生は、そのことに真っ向から反論されています。
『いま知っておきたい霊魂のこと』NHK出版は、そんな現代仏教学者に対する、忸怩たる思いが伝わってきます。

その本の中に、藤本義一さんのエピソードがありました。
藤本さんが、ある宗派の大会の講師として招かれた時に、講演に先立ち若いお坊さんが挨拶に立ち、「霊魂なんてものはありません。仏教はもともと霊魂を認めておりません」と、その宗派の学校で教わったままの話をしたことに、藤本さんは激怒されたそうです。
檀信徒が「じゃあ、私が死んだらどうなるの。ご先祖様はどうなってしまうの」と思うこと、先祖代々信じてきたものを一瞬で壊してしまった事を藤本さんは怒られたのです。

何度も書きましたが霊魂があるのか、無いのかは現代科学では、証明することは出来ません。

全ては、妙(陰)と法(陽)、即ち、見える世界と、見えない世界の二つの世界で成り立っています。
ですから、いくら科学技術が進歩しても証明することは不可能なのです。


東日本大震災以降、被災地の各地で幽霊を見たという、目撃談が数多くあるということは耳にしていましたが、それだけでなく霊障によるものであろうと推測される、現象も多く起こっていることも紹介されています。

著書の中で、津波で亡くなった父親の葬儀の時に、娘さんが神がかり状態になり、大声で騒ぎだし、親族が、「父親が乗り移って喋っている。声が父親の声だ」と告げた話を取り上げられています。
そのお坊さんは慌てず、彼女の前で真言を唱え、数珠を頭に乗せて静まるように念じ、その後、葬儀はつつがなく行われたとの話を聞かれて「こういう場合、霊魂の存在を認めていないお坊さんでは全く対処が出来ません。うろたえるならまだましです。憑依している人を錯乱あるいは狂気と決めつけて、事態はより一層悪化しかねません。
一番悪質なのは仏教を思想だ、哲学だと言っているお坊さんです。何の修行も積まず、頭だけで仏教を理解したつもりになっているお坊さんです。
あるいは、マニュアル化したお葬式ばかり営んでいるお坊さんです。想定外の事態が起こった時に、そのお坊さんの真の実力が試されるのです」と、僧侶にも手厳しい意見を書かれています。

さらに、行方不明になっている方の親族が女性霊能者を尋ねた時の話も紹介されていました。

「いま、自分は冷たい海の中にいる。冷たくて仕方ない。ところが今日、水面の方からなにやら文字が書かれた細長い紙が落ちてきた。手に取ってみると、とても暖かく気持ちが良くなった、救われた」と聞かされ、調べてみると、日蓮宗のお坊さんたちが、お題目を書いた紙を海岸から沢山流したことがわかり、死者の霊が手に取ったのはお題目であったことが判明し、それを聞いたお坊さんたちは、自分たちの鎮魂の祈りが役立ったことを喜ばれたとの、有り難いお話も紹介されています。

分家した時に

「うちは分家だから仏様かいない。」と仰る方がいますが、ホトケサマ(ご先祖様)のいない人は一人も存在しません。
木の股から生まれた人も、キャベツから生まれた人もいないのです。

自分の直系の先祖は両親ですから二人、祖父母が四人、倍々に増えていきますから、10代遡ると1024人、30代では1億人を超える、先祖がおいでになります。

霊魂となった先祖は霊界にも、お寺にも、お墓にも、仏壇にもいらっしゃいます。
そして、私達と共にいらっしゃるのです。自分のDNAの中には地球上に初めての生命体が生まれてからの、全ての命が折りたたまれています。

高度成長以前の日本では、子供が分家する時には、仏壇や位牌を持たせることは当たり前でした。それが現在では途絶えてしまいました。

最近、皆さんにお願いしているのは、立派な仏壇でなくても結構ですから、手を合わせる場所を設けて下さいということです。

家を建てたり、マンションを買ったりした時に、せめて先祖代々の位牌くらいは祀りませんかとお勧めしています。

大聖人様は、過去の精霊(先祖)の為に供養したように思いがちだが『さにては候はず。かえって我が身を供養したもう』と自分自身の供養なんだよと教示されています。(H27.5月号より抜粋)