『寶塔山』令和3年12月号から

コロナ感染症で全てのものが変わった感がありますが、ご葬儀も大きく変わりました。大勢の会葬が控えられ、家族・親族葬が多くなりました。
先日、葬儀屋さんと話していると、「直葬も増えてきました・・」との話も聞きました。
コロナ感染症が蔓延していた、昨年は仕方ないとことでしたが、これからの、ご葬儀や供養について、考えてみましょう。

葬儀の重要性

京都大学の、カール・ベッカー特任教授等のグループが、『葬儀を簡略化したり、葬儀に不満を感じた遺族は、その後の仕事の生産性が低下し、医療や福祉への依存度が高まる』という、研究発表を学術誌に発表したとの記事が、『寺門興隆』誌、10月号に掲載されていたので、紹介してみましょう。

調査は、実験では僧侶の読経を聞くことで、悲しみが軽くなるということが分かっているが、証明する研究がなされていなかったことから、平成30年に調査を実施。
165名の回答から導き出されたもので、内訳は、これまでのような葬儀を行った人が53%、近親者に限った葬儀を行った人が43%、葬儀のみが2%、火葬のみも2%という比率。

下の図は、愛する人を失った時に、体にはどのような症状が出たかを図表化したものです。

               死別の悲しみ     割合
感情的に無感覚になる65.5%
他人を信用するのが難しい61.4%
自分の一部が死んだ、死にたいと思っている61.2%
喪失感を受け入れられなかった59.1%
喪失感について、苦しさ、怒りを感じる54.3%
前に進むのが難しい50.9%
満たされない、空しい、意味のない人生49.8%
茫然自失、ショック、意識が遠のいた47.5%
亡くなった人の気持ち、悲しみ、存在を感じた43.0%
激しい感情的な痛み、悲しみ、悲嘆の痛手35.6%
亡くなった人へのあこがれや憧憬29.5%
亡くなったことを思い出さないようにしている26.5%


親しい人を亡くすと、強い悲しみと、喪失感にとらわれるのは、ごく自然な心の現れです。喪失感からくる、気力、体力の低下は誰にも起こりえます。

ホームページをご覧いただくと良いですが、私が、「ペット供養」を行っているのも、可愛がっていたペットを亡くすことで、心身の不調や、うつ病を発症し、人生の価値(QОL)が下がるよりは、ご葬儀や供養を営んでペットの死を受け入れ立ち直る道をお示しするためですが、同様のことが研究にも表されています。

「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」と言いますが、男性が妻を亡くすと、栄養管理、衛生管理が出来なくなり、勢いアルコールの量が増えて、短命になることは、よく知られているところです。

カール・ベッカー教授の調査から、導き出された結果は、

①略式葬、直葬をした人と比べて、きちんと葬儀を行った人は、葬儀の満足感が高い。
②葬儀に対する不満は、後々健康上の理由で、仕事を休むことが増加する。
③葬儀に不満を持った人は、身体的症状が出やすい。


という、結果が導き出され、それは、経済にも影響を与えるらしく、「葬儀が役に立たない」と感じた人は、満足したグループと比べて、1か月に医療費で2万円以上、医薬品に1万円、カウンセリングや精神科に1万円以上費やす人が多いことから葬儀に対する不満が、その後の医療費やカウンセリングにかかる費用の増加を予見させる可能性がある。と結論付けられています。

では、これからのご葬儀はどう考えればよいのでしょうか?

今、日本は「多死社会」に入っています。2040年頃には、年間170万人の死亡が予測されています。
加えて、親世代よりも子供世代が、子供世代よりも孫世代が、なお貧しくなっていくと言われています。
若者と話すと、先祖供養、親が亡くなった後の供養について、しなければと思っているが悩ましく感じている人が多いようです、

一番の原因は、よく耳にするお寺様とのお布施トラブルです。

霊園を経営している関係から、来園者から様々な質問を受けますが、父親の葬儀でのこと、「院号を断ったら、ご住職から、親不孝のように言われ、院号をつけると、もっといい世界に行けるとも言われました。本当ですか?」という質問を受けました。
結果、この家族は「寺じまい」され、霊園に建墓されることになりましたが、本当に、そうなのかどうかを日蓮大聖人様に、お伺いしてみましょう。

ご葬儀の引導文で聞かれた方も多いかと思いますが、

「此(この)法華経は三途河(さんずのかわ)にては船となり、死出の山にては大白牛車(だいびゃくごしゃ)となり、冥途(めいど)にては燈(ともしび)となり、霊山(りょうぜん)へ参る橋也。霊山へましまして艮(うしとら)の廊(わたり)にて尋させ給へ、必待奉(かならずまちたてまつ)るべく候」
(波木井殿御書)

と、法華経の力による死出の旅路の安心と、自分が(日蓮が)待っているよと、示されます。

しかし、この文章には続きがあります。分かりやすいように、意訳してみましょう。

「ただし、それぞれの信心によるものである。
生前の信心が弱かったならば、日蓮の信仰に繋がる者と言っても、通用するものではない。石が下に転がり落ちるように、雨が空から落ちてくるように、地獄に落ちるであろう。
その時に、日蓮を恨むのはお門違いだよ。

もう一度言うよ、それぞれの信心こそが大事なのだ」

自分で祈ること、自分が供養の中心

久留米の法事から帰ってきた夜に、もう一つした話があります。それは、「今日の法事は、いい法事だった。楽しい法事だったよ。」というものです。
こちらからもお経本を持って行ったので、親世代だけではなく、小さな子から、小学生の子まで、提婆品、お自我偈の訓読を、大きな声で一緒に読んでくれました。
年忌の仏様も、ご先祖様も、孫にお経をあげてもらってきっと喜んでいらっしゃるだろうなと思うと、目頭が熱くなりました、

当山は、子供のお参りが多いお寺ですが、正月のご祈祷しか来ない家庭でも、小さい頃からお参りしていると、結婚(入籍の日)、出産(安産・日晴れ)などにお参りしてくれます。
そんな機会に、お経を読み、お題目をお唱えしていると、法事の時など、自然に一緒に唱えてくれるようになるものです。

小さいうちから、お寺参りをさせておく、お経やお題目に慣れさせておく、そうすれば、あなたが亡くなったときに供養してもらえることでしょう。
私が皆さんにお伝えしている供養の考え方は、一番は忘れないでおくこと。お命日には、少しのお供えをして手を合わすこと。更には、お経が読めれば、お経をお供えすること。もちろん、お題目だけでも十分伝わるのです。

私がいつも話す、「供養の主体は皆さんですよ」ということこそが、これからの供養の考え方です。

ご祈祷や、霊断法に縁があって、ご信心をされている皆様は、霊験神秘を体験されている方々です。何かことあるたびに、霊断法による指導を受け、その不思議体験の積み重ねにより信心は堅固となり、自然と霊界の門を開くことが出来ます。

自分の行く世界を決めるのは、自分自身だと心に留め、明年も益々のご信心に励んで参りましょう。