宗教界も社会も激変の時代

『寶塔山』
令和2年お盆号

コロナ後の宗教界
「お寺は、コロナの影響はありますか?」という、質問を受けますが、葬儀、法事や月参りでやっているお寺様は、かなりの影響があるようですが、もともとが葬儀、法事ではやっていけないお寺でしたので、20代で葬儀、法事でお寺を運営することを諦めましたので大きな影響はありません。

逆にご祈祷、霊断は増えていますし、妙な傾向として、葬儀が続きました。年間4~5軒のところが、今年はもう9件です。
但し、うち3件は「寺捨て」、1件は「捨て骨」を疑わされるものでした。

寺捨て」ってなにと思われる方もおられるかも知れませんが、これまで「寺離れ」と言われていた、お寺と距離を置きたいと思っていた人たちが、いよいよお寺からの寄付の依頼、葬儀、戒名料の高額な請求に、それまで縁のあった寺院が見放される現象です。
背景にはコロナによる経済縮小や、家族葬の増加による、社会の変化が考えられます。

「送骨」も2件ありました。宅急便でお骨が送られて来るのですが、諫早の女性からは80代の兄の遺骨が送られてきました。
永代供養墓に、母親を納骨した40代の男性は、「捨て骨」をされたんだなぁと思わされる言動、態度に、どのような、母子関係だったのかと痛ましくさえ感じました。
「送骨」も「捨て骨」も自分の死後のことをちゃんと決めておかなかった、納まる所を決めておかなかった本人に一番責任があるとは思いますが「捨て骨」も「送骨」も不憫です。

鹿町町という、日本の西の果てにいることで、高齢少子時代の日本の未来がよく見えてきますし、また霊園をやっていることで、宗教界の未来も一番学ばされているんだと思っています。

前号にも書きましたが2042年、今から20年後高齢者が4000万人になると予測されています。

20年後、私が79歳、息子たちは40代、50代です。さて、自分の年金では入院、まして介護にはおぼつきません。仕方なく息子たちが援助してくれると考えたときに、今の若者が20年後お寺に寄付を出来るとは思えません。

その時代、「葬儀のお布施が1万2万3万円の時代が来るよ、お布施の代わりにお米ということもあるかもしれないよ」と息子たちには話してきました。
それは、コロナ流行の為に10年は早まるかも知れません。

最近、葬儀社に行くと、「コロナのせいで家族葬ばかりになって・・・」という、嘆きを聞きますが、それは、何年も前から私が言ってきたこと、「これからは家族葬が増えますよ」「自宅葬が増えます」「その先、火葬場の通夜室を利用する人たちが増えますよ」と伝えていたではないですかと話しています。

今後、以前のように大勢の会葬者が集って、故人を送るという葬儀にはなかなか戻らないでしょう。
家族、親族、親しい友人、仲の佳かった近所の人たち、少人数での葬儀が当たり前となっていくことが予測できます。

ところが、社会は急激に変わってしまったのに、頭の中が切り替わらないのが宗教者のようです。

会葬者が多ければ、お香典でまかなう部分もありますが、家族葬となると、全てが持ち出しとなります。それなのに、頭の中が切り替われない宗教者は、以前と同様に戒名料、葬儀のお布施を請求されることで、お布施トラブルが多くなっているようです。

そんなことが続くと、若い世代の人たちから、「戒名料ってなんでそんなに高いの?」「じゃあ、そもそも戒名って必要なの?」と、宗教界に対したのアレルギーを感じさせることになりかねません。
先日、初めてみえた40代の女性も、実家のお寺様に対しての不満を口にされました。それは、「父の葬儀で150万円取られた」という不満です。

2050年、日本の寺院は半分になると予測されていました。これも、コロナの為に10年は早まるでしょう。

これまで、戒名料として、100万円もらっていたお寺様が、10万円、20万円になってしまったとしたら経営として成り立たなくなってしまいます。

お布施トラブルによって、宗教離れの原因となるような宗教者はどのみちやっていけなくなるでしょうし、寺捨てが加速するものと予測できます。
それは、人々に寄り添う、宗教者しか残らないということでもありますから、決して悪いことではないと思います。

未来の社会は

さて、20年後どのような社会となるのかを想像してみたときに、私は、時代が逆行し昭和初期、もっと逆行すると江戸時代に戻ると皆さんに話しています。

江戸時代に戻るといっても、なかなか想像が出来ないかもしれませんが、ハレの日とケの日がきちんと区別された生活スタイルです。普段はケですから、質素に暮らし、お正月やお盆、節句など人が集まるイベントには、ごちそうを食べお酒を飲みかわす、そのような生活です。


今の人は聞いたことがないでしょうが、住職の子供の頃には、「お出かけ着」という考えがありました。普段は繕(つくろ)いをしたものを着て過ごし、よそにお出かけするときには、きれいな服を着て出かけていました。
今は、毎日がお正月だと言っています。毎日きれいな服を着て、コンビニに寄り、ファミレスに行く、そのような生活がこの先もずっと続くというのは考えづらいでしょう。

そのような状況になった時、頼りになるのは家族、親族、友人など人との関わりが大切になります。
隣に米を借りに行く、味噌を借りるそんな昔に戻るイメージですから、お互いに助け合う、譲り合うことをしないと生きていけない、そんな世の中がやってくることが想像出来ます。

という字は、令和の令に、口が付いて命になります。口は息をする、話すという命の営みが加わった姿です。令は、冠をつけ、正装をして地面にひざまずき天からの恵み、守りを祈る姿です。

時代が逆行したその時には、昔の人たちのように、朝夕に神仏の加護を祈り、小さな幸せを沢山見つけていけるような生活を営むことが大切になるでしょう。

大聖人様は、『苦をば苦と悟り楽をば楽とひらき、苦楽共に思い合わせて南無妙法蓮華経とうち唱えいさせ給え、此れ豈に自受法楽にあらずや、いよいよ強情の信力を致し給え』四條金吾殿御返事

苦楽共に素直に受け入れ、お題目にすがること、そこには喜びの心が現れてくることを教示されました。

結局、大聖人様のお言葉、『女房と酒うち飲みて南無妙法蓮華経些細な幸せこそが一番の幸せなんですよ。

(令和2年お盆号に加筆 R3.5.27)